秋も深まる11月に長野県上田市に行ってまいりました。
その時、上田城の見学と翌朝上田市内の散策に行きました。
散策がてら真田十勇士の像が市内に点在していましたので、訪れてまいりました。
上田城
上田城は日本100名城の一つで戦国時代に真田昌幸によって築城され、第1次、第2次上田合戦で2度にわたり徳川軍と戦い撃退した難攻不落の城として知られています。
その有名なお城に行ってきました。
秋も深まり紅葉もきれいでお城にマッチしています。
現在は上田城址公園として整備されており、上田市立博物館や野球場、その他遊具などもあり、市民の憩いの場として親しまれています。
上田城内には真田神社があります。真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。しかし、もともとは松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平(しょうへい)神社と称していました。
詳細は以下のホームページを参照ください。
上田城の櫓を観覧できます。ただ、毎週水曜日はお休みで、行った日が水曜日の為、観覧できませんでした。
調べてから行くべきでしたね。
上田城は少し高台になっており、西櫓から上田市内の上田駅方面が見渡せます。
おじさんは車で訪れました。上田城跡北観光駐車場にとめましたがここは1時間まで無料です。南側にある上田城跡駐車場は無料のようです。普段はこちらに停めるといいでしょう。
上田城については下記の公式ホームページを参照ください。
上田市内にある真田十勇士の像
戦国時代から江戸時代初期の大阪冬・夏の陣などで活躍した真田幸村(史実では真田信繫)の講談で親しまれ、幸村に仕えた10人の家臣からなるキャラクターを「真田十勇士」と呼んでいます。あくまで伝承上の架空の人物ですが、歴史的な由来を持つ人物もいます。その「真田十勇士」の像が上田市内にあります。(下記の人物の説明は小説や講談内の架空の設定です。)
その真田十勇士の像(モニュメント)の場所と写真を紹介します。
池波正太郎真田太平記館
池波正太郎作の小説「真田太平記」をモチーフにした記念館が上田市のJR上田駅から徒歩10分ぐらいのところにあります。
そこに真田十勇士の像のマップがあります。また、ここに猿飛佐助の像がありました。この後、紹介します。
池波正太郎真田太平記館についての詳細は以下のホームページを参照ください。
真田十勇士のマップ
真田十勇士のマップが池波正太郎真田太平記館の横にあります。
このマップは少し古いようで、三好伊三入道の像の位置が今と違っています。その場所は後で説明します。
真田十勇士
猿飛佐助
猿飛佐助は立川文庫の『真田幸村』では、甲賀流忍術の名人として登場し、活躍しています。
猿飛佐助の像は池波正太郎真田太平記館の入り口前にあります。ここは簡単に見つけることができると思います。
こちらの猿飛佐助の像はポケモンGOのポケストップになっていました。
霧隠才蔵
霧隠才蔵は『真田三代記』の幸村の部下の忍者・霧隠鹿右衛門という人物の名前を才蔵に変えて立川文庫の『真田幸村』に登場させています。伊賀流忍者で猿飛佐助の相棒として描かれています。
ここは旧北国街道の柳町の入り口なります。江戸時代から明治の街並みが残っており、観光客もよくいくスポットとなっています。また霧隠才蔵はポケモンGOでポケストップになっていました。
旧北国街道柳町についての詳細は以下のホームページを参照ください。
望月六郎
望月六郎は爆弾つくりの名人として描かれています。大坂夏の陣では幸村の影武者として活躍しています。
望月六郎の像はJR上田駅から北に真っすぐいく通りの左側の歩道にあります。セブンイレブン上田城大手門店のすぐそばになります。上田駅からは徒歩で5分程度で着きます。歩道上にあるので、すぐ見つかるでしょう。
根津甚八
根津甚八は『真田三代記』でも幸村の家臣・根津甚八郎貞盛として登場しています。大坂夏の陣の最終局面で幸村の影武者となって討死しました。
2016年にお亡くなりになりました俳優の根津甚八さんはこの『真田十勇士』の根津甚八から芸名を取りました。
根津甚八像は、望月六郎の像から南に100mいかないところにあります。ここも道路沿いにありますので、すぐに見つかるかと思います。
どうしても見つからなければポケモンGOのアプリを開いてポケストップを探せば見つかりやすいと思います。
三好清海入道
三好清海入道は、坊主頭の大男で、力は強いがどこか抜けたところに愛嬌があって、好ましい豪傑として描かれています。関ケ原の戦いの後、幸村の部下になり、弟の三好伊三入道と共に九度山に落ちています。
海野町市神高市神社のところにあります。旧北国街道沿いの商店街の一角にあります。神社はすぐに見つかると思います。
高市神社は真田家ゆかりの神社です。詳細は以下のホームページを参照ください。
由利鎌之助
由利鎌之助は真田幸村に仕えた豪傑の一人です。『真田三代記』でも豪傑・武将として登場しています。最初は野田菅沼家に仕えていたが、真田軍に敗れて捕虜となった後に真田家へ加わっています。
この場所は商店街より駐車場に向けて少し入ったところにあります。公衆トイレを超えて左側になります。場所は少しわかりにくいと思います。
海野六郎
海野六郎は十勇士中一番の古参で幸村の頼りになる右腕です。気位も高く頭も良い参謀格の人物です。『真田三代記』でも幸村の家臣・根津甚八郎貞盛として登場しています。
場所は天照山日輪寺の入り口のところの歩道上にあります。分かりやすいかと思います。
天照山日輪寺については以下のホームページを参照ください。
三好伊三入道
三好伊三入道の像の場所は、真田太平記館横にある『真田十勇士ウォーキングマップ』の位置から変わっていますので、ご注意ください。おじさん、分からず、探すのに結構な時間を費やしてしまいました。
三好伊三入道は実在の戦国武将である三好為三がモデルとされています。三好清海入道とは兄弟です。また三好伊佐入道とも表記されるようです。
ここはポケモンGOのポケストップになっていました。
穴山小助
穴山小助は武田家家臣の出で、武田家滅亡後、小助の父は、小助を連れて戦場を渡り歩いていました。やがて、真田家の家臣となり幸村の家臣となりました。真田幸村と同年で体つきも容貌も似ていたので、影武者として活躍します。
穴山小助の像は、上田駅前のロータリーの向かいにあるビルの北西側にあるエスカレーターを降りたところにあります。
通から少し入り源兵衛坂の由来の看板の前にあります。
ポケモンGOでポケストップになっていました。どうしても見つからない時はポケモンGOのアプリを開いてポケストップを探してみてください。
筧十蔵
筧十蔵は、元々は豊臣譜代の蜂須賀家の家臣で、秀吉に招かれ大坂城内の蜂須賀屋敷に身を寄せている幸村に心を引かれ、志願して家臣となりました。種子島銃を使う十勇士の中でも異色の存在です。
筧十蔵の像は、上田駅ローターリーから北西に行くお城口天神通りを数分歩いて行った場所に上田天満宮という小さな祠があります。その前にあります。
道沿いにあり、新幹線の高架下になりますので、見つけやすいかと思います。
真田幸村(真田信繁)像
駅前に真田幸村(信繁)の像があります。
後に水車がありました。上田駅にも真田家の家紋『六文銭』が掲げられていました。
真田幸村(史実では信繁)は真田昌幸の次男として生まれ、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍しました。上田城合戦では徳川勢を蹴散らしています。
大坂冬の陣では有名な『真田丸』を築き、徳川勢を苦しめています。夏の陣で負けはしましたが最期まで勇猛果敢に戦い、徳川家康を追い詰めました。
最後に
今回は上田城と真田十勇士に会いに行きました。昔小説やマンガで見た真田十勇士に会えてうれしく思います。
真田幸村が上田の人たちに愛されているのがよくわかります。
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