赤穂城址とは
兵庫県赤穂市にあります。
日本100名城の一つです。
JR播州赤穂駅から南に徒歩20分程度のところに位置します。駅前からお城通りを真っ直ぐ歩いていけば迷いません。
ここは赤穂城址となっており、いわゆる天守閣や二の丸などのお城という建築物はありません。旧赤穂城庭園 本丸庭園・二之丸庭園が残っており、赤穂城址公園があります。とてもいい景色が続きますので、お散歩には最適です。
電車にて | JR播州赤穂駅より徒歩20分 |
バスにて | JR播州赤穂駅よりコミュニティバス「ゆらのすけ」にて 「赤穂城前」下車徒歩5分 料金:100円 ※運行日・運行ルートに注意ください。詳しくは赤穂市ホームページで |
自動車にて | 山陽自動車道赤穂ICより約10分 赤穂市城址公園付近には無料駐車場があります。 ・赤穂城址公園西駐車場 ・赤穂城址公園東駐車場 ・赤穂城址公園南側駐車場 ・大石神社駐車場 ・観光バス駐車場 ・赤穂市加里屋駐車場 ・赤穂市駅前町無料駐車場 |
赤穂城の歴史
赤穂城は、正保2年(1645)に常陸国笠間から入封した浅野長直が、近藤三郎左衛門正純に築城設計を命じ、慶安元年(1648)より13年以上を費やし、寛文元年(1661)に完成しました。
三代続いた浅野家ですが、刃傷事件により断絶しました。これが赤穂浪士の討ち入りのきっかけとなった事件です。この物語は忠臣蔵として有名です。その後は永井家、次いで森家の居城となりました。明治の廃藩置県後、赤穂城は払い下げられ、屋敷地は民有地となりました。
しかし城郭復興の気運が高まり、大正元年(1912)には三之丸に大石神社が建立、大正14年(1925)には二之丸に山鹿素行銅像が建立されるなどされました。
昭和3年(1928)には本丸内に赤穂中学校(後の赤穂高等学校)が竣工されました。また昭和15年(1940)には城跡が風致地区に指定され、昭和27年には都市公園の計画決定、さらに昭和46年(1971)には国史跡に指定され、赤穂城整備が推進されることになりました。
三之丸大手隅櫓と大手門
赤穂城の玄関口となる大手門の脇に位置する二重櫓です。明治時代に取り壊されましたが、昭和30年(1955)に再建されました。脇にある大手門をくぐると、赤穂城で最も厳重な桝形があります。
桝形(ますがた)とは
お城は堀や石垣、土塁などに囲われていますが、必ず門があります。戦の際、敵からの侵入を防ぐため、門から直線的に侵入できないように1つ目の門から正面と片方の横に城壁や土塁を作り、直角に曲がったところに門を作りました。
そうすることにより、前後を門によってふさがれた空間を作り、城壁や土塁の上から守備方が攻撃しお城を守ります。このように工夫された門を桝形門・桝形と呼びます。
天守台
立派な天守台ですが、一度も天守は築かれませんでした。
この天守台は築城当時のもので、1937年(昭和12年)に石垣隅角部の崩壊箇所が修復され、さらに1985年(昭和60年)には登り階段が修復整備されています。ここから本丸御殿跡や本丸庭園が見渡せます。
本丸庭園及び本丸御殿跡
本丸庭園は国指定名勝です。浅野氏の指示により赤穂城と同時に作られました。その後、城主となった森氏により江戸時代後期に一部改修されています。緩やかな築山の池泉鑑賞式庭園です。
本丸門
本丸内には昭和56年(1981)まで兵庫県立赤穂高等学校がありました。本丸門はその校門に改築されていました。今は発掘調査や絵図、古い写真などをもとに復元されています。櫓門階上は時期を限定して特別に公開しています。
播州赤穂の観光
やはり赤穂と言えば忠臣蔵、四十七義士ですので、それにまつわる観光名所が多くあります。
- 花岳寺
初代藩主・浅野長直が浅野家の菩提寺として建てた寺です。浅野家、永井家、森家の菩提寺としても知られています。門をくぐると目の前に大石内蔵助が母の冥福を祈って植えた美しい松、本堂横には浅野内匠頭を中心に義士たちの墓が並ぶ墓所があり、ここには遺髪が納められていると伝えられています。墓所の入り口には大石内蔵助の屋敷から移し植えた「忠義桜」があります。 - 大石神社
家老・藤井又左衛門と大石内蔵助の屋敷跡に大正元年に四十七義士を祀る神社としてご鎮座しています。祭神は、大石内蔵助以下四十七義士、中折の烈士萱野三平を主神とし、浅野家三代、本能寺の変に散った森蘭丸ら森家の武将を合祀しています。 - 大石邸庭園
大石神社内にある大石内蔵助の邸宅跡にある庭園です。庭園から見る長屋門内には、刃傷事件の知らせを持って参上した早水藤左衛門、萱野三平、その内容を読む内蔵助、主税父子の姿をリアルに再現した人形も展示されています。 - 大石邸長屋門
家老・大石家二代の屋敷の長屋門で、屋敷は畳数にして308畳の広大な邸宅です。享保14年(1729)、建物の大半が火災に遭いましたが、長屋門だけが焼失をまぬがれ、その後建て替え等を経て数少ない江戸時代建築として現在も場内に残っています。 - 息継ぎ井戸
江戸での浅野内匠頭による刃傷事件の第一報を知らせるため、元禄14年3月14日の夕刻に赤穂藩士、早水藤左衛門、萱野三平が早かごで江戸を出発しました。赤穂城下に着いたのは3月19日の早朝で、155里(約620km)の行程を4昼夜半早かごに揺られ続けた両人は、城下に入りこの井戸の水を飲んで一息ついたといわれ、以来、息継ぎ井戸と呼ばれています。 - おせど
赤穂八幡宮の東南にある大石内蔵助の仮寓地跡で俗称「おせど」と呼ばれています。赤穂城明け渡しの直前、城内三之丸の屋敷からこの地へ移り、その後京都の山科へ移るまでの2か月余りを過ごした場所です。 - 義士宅跡
赤穂四十七義士のうち、赤穂市内に屋敷があったと判明しているのは21名です。現在は民家や公園、空き地など様々な形に姿を変えていますが、それぞれの義士宅跡には義士を紹介する説明板と石標が立っています。
これらが赤穂城址周辺に点在しています。
赤穂市のグルメ
赤穂市は岡山県に隣接する兵庫県の最も西にある市です。ここも瀬戸内海で採れる海の幸が美味しくいただけます。
「海の駅 しおさい市場」では牡蠣の食べ放題(冬季)や漁業体験ができます。
その他、オイスターサーモンのお茶漬け、オイスターサーモンのトルティーヤなども味わえます。
時期のより内容が変わりますので、調べてから行ってください。
その他のグルメはこちらを参照してください。
最後に
おじさんは赤穂市内を散歩するのが好きです。播州赤穂駅から赤穂城址までの道も整備されとても歩きやすくなっています。また、朝早く日の出ぐらいに赤穂城址公園内を散歩していると、とてもすがすがしい気持ちになります。ぜひ一度、赤穂へ行って赤穂市内を散策してみてください。
参照文献:赤穂観光協会ホームページ
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