成田山新勝寺

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成田山新勝寺とは

成田山新勝寺は1080余年続く真言宗智山派の寺院で同派の大本山の一つです。初詣では多くの参拝客が訪れ、海外でも有名で多くの観光客が訪れます。今、パワースポットの一つとして運気アップを祈願に訪れる参拝客が多くいます。

毎年立春の前日に行われます。成田山では昔から、世界平和、万民豊楽、五穀豊穣、転禍為福を祈念し、節分会追難豆まき式が厳修されます。毎年テレビでその豆まきの様子がニュースになっています。歌舞伎界では市川海老蔵さんらが豆まきしていたのを覚えています。TVのニュースで見ただけですけど。

成田山新勝寺のはじまり

天慶2年(939)関東の武将・平将門の乱が勃発します。寛朝大僧正が朱雀天皇より平将門の乱の平和祈願の密勅を受け、京都の神護寺の弘法大師空海みずから敬刻開眼した不動明王像を報じて下総国公津ケ原(現在の千葉県成田市)へ入り、この地に朝敵調伏を旨とする不動護摩供を奉納しました。
その後、しばらくして平将門が流れ矢にあたり、戦死します。天皇はこれを不動明王の霊験と喜びました。再び関東の地に平和が訪れます。寛朝大僧正が都へ帰ろうとしたところ、御尊像が盤石のごとく動かず、公津ヶ原にて東国鎮護の霊場を拓くべきとの考えのもと、寛朝に開山させました。これが、成田山新勝寺のはじまりと言われています。

成田山と市川宗家

江戸歌舞伎の名門、市川家と成田は、初代團十郎の父親が現在の成田市出身であることも関わり、深い間柄となっています。
初代團十郎は14歳で初舞台を踏み、市川家のお家芸である荒事(あらごと)を創演し、大変な人気を得ました。しかしながら子宝に恵まれず父祖以来信仰している成田山に祈願したところ、元禄元年(1688年)に男子(二代目團十郎)を授かりました。初代團十郎は大変喜び、元禄8年(1695年)に成田山不動明王を初演し、たびたび不動明王を演じました。こうして不動の役は市川家の十八番となり、「成田」の屋号もこのころから始まったものとされています。
「十八番」を「おはこ」と読むのはこの演目を「お箱」に入れて大事に團十郎一家が受け継いでいたからと言われています。

場所

成田山は千葉県成田市にあり、JR成田駅、京成成田駅から徒歩で10分程度で着きます。車の場合、東関東自動車道成田インターチェンジから国道295号を経由して10分程度。

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